2010.09.07 (23:26)
POSTED BY ねこやま
晩夏の陽炎

 ピン
     ポン

 
 呼鈴が鳴ったので玄関に出てみると、様子のおかしい人物がのっそりと立っていた。
 土気色の顔。うつろな眼。荒い息。だらしなく緩んだ口元からアゴにかけて時折流れているのは、落ちてきた汗?それとも、ヨダレ?
 とにかく様子が変だ。発している空気が異常だ。こわい。居留守を使うべきだったが遅きに失した。
 全身が汗に濡れつくしている。この陽気の中を、帽子もかぶらず長時間歩きまわっているに相違ない。
 応対に出たぼくをまっすぐ見つめると、口を半分開いたまま数秒凝固し、そしてこう言った。
 
 「芦屋市役所です。未納の保険料のお支払いの件でうかがいました」
 
 狂人だ。やはり狂人であった。
 身の危険をかんじたぼくは、相手を興奮させないように調子を合わせつつ、おとなしく引き返してもらえるよう、様子を探ることにした。
 狂人にふさわしい対応をしなくては。
 
 「いま、このガンダムを組み立てているのです。お支払いはできないのです」
 「ガンダム?」
 「そうなのです!マスターグレードRX-78-2!ガンダム!なのです。ほらこれ。な?」
 「お支払いできない場合には、正当な理由を書面で提出していただく必要がありま
 「おまえ!聴いてたのかいまおまえ!おまえいまぼくに返すべきことばは“それはガンダムの、どのガンダムなのですか?”だ!おまえ!」
 「そ、それは、どの」
 「おうよ!」
 「それはどの、ガ、ガンダムなのです、か?」
 「よくぞ訊いた!よくぞ訊いた!よーし答えてやろう!よーし答えてやろう!これはな、これはですね、フフッ、いいですか?ver.ONE YEAR WAR!ONE YEAR WAR!なのです!」
 「バ、バージョン、」
 「バージョン!」
 「わ、わん、いやー、おー」
 「そう!」
 「わん、いやー、おー……」
 「わん!いやー!おー!」
 「わん、いやー、おー」
 「わん!いやー!おー!」
 「それで、ですね」
 「なんだ」
 
 突然口元を引き締めた狂人は、鞄から封筒を取り出しながら、「支払い不可能な理由をこの用紙に書いてこの封筒に入れて送ってくださいなるべく早く送ってください失礼します」と、ものすごい早口でまくしたて、煙が消えるように、あっという間にいなくなった。
 
 夏か。
 これも、夏の暑さのせいなのか。
 おもえば、この夏の暑さは正常な神経の者にも堪える。あのような者が奇行に走っても不思議はない。
 責められない。ぼくには彼の奇行を責めることはできない。
 なぜなら、彼こそが犠牲者なのかもしれないのだから。
 文明社会の中で自己を見失い、自然の圧力に抗う術も無く押しつぶされていく、彼という存在。
 壊れ、麻痺した精神状態で市中を徘徊し、街の熱に、わずかに残った精気を根こそぎ奪われていく。
 あの顔色。そしてあの眼。もしかすると彼は危機的な状態だったのかもしれない。どこかで行き倒れてしまっても不思議はない。
 いや、
 ことによると、
 あの時すでに、この世の者ではなかったのやもしれぬ。
 黄泉の国へと旅立っていかんとする、まさにそのとき、最期に一度だけ、生命ある者との束の間のふれあいを望んだ。それが、あの来訪だったのではないか。
 なんということだ。なんという。
 そうだ。嗚呼、彼の眼は生者のものではなかった。なぜ気が付かなかった。もっとやさしく接するべきだった。
 
 哀れな御霊への供養として、ガンダムの組立説明書をコピーし、彼の残した封筒に入れて投函することとした。
 いま、わかる。彼が望んだのだ。
 線香を焚き、こころの中で彼に語りかけた。
 
 聴こえているかい?
 きみがぼくのところにきたのはガンダムが見たかったからなんだね?
 聴こえているかい?
 ハイパーバズーカを部品注文で増やして最終決戦仕様にしたらなんかいいよね?
 聴こえているかい?
 聴こえているかい…?
 聴こえているかい…… 

※ ここ、泣くところ  


 
 
 今回御紹介した出来事は例外でありましたが、市中を徘徊する狂人が無作為に住宅を訪問し、時折「市役所の者です」などとたわごとを発する出来事が頻発しているようです。
 詐欺や悪徳商法の類とは異なりますが、いずれ迷惑なことに変わりありません。
 金銭の徴収を主張された場合にも、「狂人に払う金は無い!」等のような断固たる態度、強い意思表示が必要です。断じて狂人に屈してはいけません。
 みなさまもどうかお気を付けください。
 
 
 『ねこやま幸福研究所』は、平穏な市民生活のあり方を日夜模索し続けています。

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